'06年6月3日 報告会リポート

  6月3日、東京・四谷区民センターで、西村陽子さんの帰国報告会が行われました。
 西村さんは今年の2月から5月までアンマンに駐在し、白血病の薬をイラクに届けたり、イラク人ドクターがヨルダンの医療施設で研修を行う際の調整などのコーディネーターとして支援業務に携わってきました。1年の半分以上を現地での支援活動に充てている西村さんは現地スタッフはもちろん、イラク人ドクターたちからも厚い信頼を寄せられています。
 報告会の前半では、
@ イラク支援に関わるようになった経緯 / A ヨルダンに治療に来ている子供たちの様子 / B JIM-NETの医療支援、について話してくださいました。

【イラク医療支援に関わるようになった経緯】
 イラクに初めて入ったのは、2003年6月。バクダッドには至る所に破壊の跡があり、病院に行けば、栄養失調の子供を連れたお母さんたちで溢れていました。子供たちに与えるミルクもなく、母親自身も十分な食事を摂ることが出来ないため母乳が出ません。しかしそんな状態でもイラクの治安はそれほど悪くなく、一人で食事にも買い物にも行くことができました。
 マハディーヤでは、放置されている戦車に劣化ウランの痕跡がありました。その戦車は、街の中の、パン屋やチャイ屋が立ち並び、子供たちが遊ぶ場所に放置されていたのです。そして街の至る所に劣化ウランの残骸がありました。
 戦後、白血病は3〜8倍の増加が見られました。しかし、経済制裁で薬が手に入らない状況が続いていました。そんな時、イラク人ドクターから、抗ガン剤を頼まれます。「お金があるなら薬を買ってきて欲しい」と。抗ガン剤は高価なので横流しされるリスクがあります。しかし西村さんが関わってきたドクターたちは、患者さんの病気を治すことに一生懸命で、「信頼できる」と感じたため、ヨルダンで薬を購入しイラクに運ぶことを始めました。西村さんの活動を知ったヨルダンのドクターや薬剤師も協力してくれるようになりました。
 しかし残念ながら今のイラクの治安は悪くなる一方です。イラクの人たちは、「夜寝るときに、翌朝、自分の命があるかどうか分からない」と言っています。そのため今、西村さんは隣国のヨルダンで、薬をイラクに運ぶ活動を続けています。

【ヨルダンに治療に来ている子供たちの様子】
 イラクでは薬を入手するのが困難なため、隣国のヨルダンに出てきて治療を行っている子供たちがいます。
@ ムハンマド(12歳)
 治療のため、家以外の財産を全て売り払って父親と一緒にヨルダンに出てきました。お父さんが、キング・アブダッラーのお母さん(皇太后)に頭を下げて、治療費を乞うたそうです。その後、母親と妹弟を呼び寄せて一緒に暮らしています(姉3人は学校があるのでイラクに残してきています)。お母さん曰く「ヨルダンは環境が良くてキレイで天国! イラクは全てがすり減っている」と。ムハンマドや妹弟たちは、「ヨルダンはキレイでいい。フセインガーデン(遊具があって遊べる場所)が一番のお気に入り。」とのことです。ムハンマドは、あと6か月治療を継続できる許可証をもらうことができました。しかし問題は山積しています。ヨルダンはイラクに比べて、桁違いに物価が高いのです。治療費を工面するので精一杯で、生活するのも大変ですが、妹弟たちを学校に通わせることができません。
 しかし今はムハンマドの治療に専念する時期と思い、1年休学にして我慢させています。
 ムハンマドが白血病になったのは何故でしょうか?
 家族は一様に「劣化ウランのせい」だと言っています。自宅からたった50メートルしか離れていないところに、劣化ウラン弾で攻撃された跡がある戦車が放置されており、ムハンマドは親に禁止されても友達と何度もそこで遊びました。時には、戦車の部品を持ち帰ったりもしたそうです。劣化ウランのことはテレビで知りました。そしてムハンマドは、その戦車から煙がでているのを見たことがあります。時間が経つにつれて化学反応を起こしたのでしょうか。約1年後に業者がやってきて、その戦車をチグリス川に投げ入れたそうです。
 ムハンマドは数人の友達とその戦車で遊びましたが、白血病になったのは彼だけです。ムハンマドはそのことについて、「人によって抵抗力が違うから。それに自分が一番よく戦車で遊んだんだ。遊んでるときに戦車から落ちて頭を切ったことがあるんだけど、そのときに頭から劣化ウランが入ったかもしれない。」と言っているそうです。

A アハマッド・ザーキー
 サラセミアという地中海地方に多い貧血性の血液の病気に罹患しています。お姉さんから骨髄移植を受けたのですが、あまり状態は良くありません。カメラを向けると嫌がります。なので、西村さんが見せてくれた映像では、椅子に座っている横顔がチラッと見えただけでした。

B アヤ
 骨癌で右足を切断した女の子です。とても負けず嫌いな性格だからでしょうか、将来の夢は体育の先生です。お母さん曰く、「どんなに体調が悪くても、絶対に学校に行くし、どんなに反対しても絶対にやる子なんです。」と。

 イラク戦争から3年が経って、基金がどんどん打ち切られています。そのためJIM-NETでは本の印税を活用して、患者や患者家族のホテル代などをフォローしています。癌や白血病の治療は一度始めると、最後までやらないと再発するし悪化します。そのため、途中で辞めるわけにはいかないのです。

【JIM-NETの医療支援】
 JIM-NETの主な医療支援についても話をしてくださいました。

@ ブラヒムの院内学級(バスラ)
 イブラヒムの院内学級の評判はとても良く、バスラの病院のドクターからも感謝されています。院内学級で勉強するのが楽しみな子供たちのたくさんいます。
 ドゥニヤは再生不良性貧血の女の子。イブラヒム先生が大好きで楽しく勉強しています。ある日の院内学級で絵を描いてくれたのですが、その2日後に彼女は亡くなりました。(サンタの穴あき靴下作戦「イブラヒム先生のバスラ便り」参照。)

A研修
 イラクの医師や検査技師たちに、ヨルダンの「キングフセインがんセンター」で研修してもらっています。この病院は中東一で、アメリカの病院とも連携をとっている病院です。

Bイラクに薬を運ぶ
 毎月300〜400万の薬を送り続けています。今まで約100箱くらいイラクに送りましたが、幸いなことに途中で薬が紛失したことがありません。病院によっては、支援の7〜8割がJIM-NETによるところもあります。「今、亡くなる子供たちは月に2人くらいですが、JIM-NETの支援がなかったら月15〜16人の子供たちが亡くなっていただろう。」と言われました。西村さんが「アラブの子どもとなかよくする会」単独で薬を運んでいた頃は、半年かかって集めた200万円を全ての病院に薬を行き渡らせようとすると、1病院につき2週間分の薬しか渡せず、「beter than nothing」と言われるような状況でした。しかし今は、病院からの要請に十分に答えられるようになりました。そのおかげか、「JIM-NETなしではいられない。」と言ってもらえるようになったのです。

  後半は、2003年6月〜2004年1月に西村さんがイラクに滞在したときの様子を、映像を交えながら話してくださいました。
 日本車は寒暖の差が激しいイラクではとても良いとのことで、重宝されています。他の国々でもよく見られることですが、イラクでも同様、日本製品とアニメーションは好まれているようです。
 イラクで採れた農作物はヨルダンには入りません。なぜなら劣化ウランに汚染されているからです。その代わり、イラクの農作物はシリアに行くのだそうです。
 イラクの男の子たちの主な遊びはサッカーなどスポーツや体を動かすこと。ちなみにほとんどのイラク人は泳げるので、趣味を聞くと「水泳」と答える人たちが多いです。かたや女の子たちに共通して見られることは、テレビの前で歌手と一緒に歌って踊ることです。

 西村さんのお話はとても丁寧でわかりやすく、現地の様子をイメージしやすかったです。2003年からイラクと関わっており、また流暢なアラビア語を話すため、情報収集も詳細です。質疑応答も活発に行われ、イラク国内の状況をさらに質問されたり、アンマンにいる難民の女の子・ディアールの様子を聞かれたり、宗派対立のことなど、質問は多岐に渡りました。
 西村さんの一時帰国はわずか1か月ですが、6月は西村さんの報告会がたくさん企画されています。JIM-NETサイトのイベントカレンダーに詳細が掲載されていますので、まだ西村さんのお話を聞いたことがない方は、この機会に是非参加してみてください。

リポート:国井 真波(JIM-NET/JCF)

目次ページに戻る